律令の成立 行政単位の確立
班田収受と税体制の確立
律令(律は現在の刑法、令はそれ以外の行政法をさす。)と呼ばれる法律をもとにして国家の秩序の確立をめざすという大和朝廷の政策によって大宝律令、養老律令が8世紀の初頭に完成した。
国家制度の基盤としての 律令 が庶民層に与えたもっとも重大な変動は、家父長制による 戸 の編成であり、具体的には戸主を中核とした 戸籍 が整えられ、50戸を1里とする最小行政単位が確立したことである。
またもうひとつの家族への衝撃は、班田収受と税体制の確立であった。
養老令の戸令の規定によれば男子は15才、女子は13才で結婚することが許された。
6才以上のすべての男女に一定の田が 班田(口分田)として貸し与えられ、それに対し租(班田にたいして課せられる税で、収穫量の3%)の納税が義務づけられた
。
全員に課せられる税はそれだけで、負担としてはそれほど大きくないようにみえるが、租の他に成年男子には、庸(よう)、調(ちょう)、雑徭(ぞうよう)という税が毎年課せられた。これらは主として布に換算して支払われたようだが、その布は女たちの労働によって織られた品物であり、納税のための労働は当然のこととして 戸 の成員全体の負担になったのである。
税の重さというのが当時の農民たちにとってどの程度にかんじられていたのかはわからないが、里長(村長)が鞭をもって貧しいものから税を取り立てると山上憶良により万葉集(貧窮問答歌)にうたわれている。
口分田は男が2段、女がその2/3与えられ、死ぬまで耕作権を得た。
家族や一族の共有する財であった耕作地が一人ずつ所有者が割り当てられ、割り当てられた者が死ねば自分たちの所有でなくなってしまうのである。
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